【八ヶ岳をつくる人】池の平ホテル&リゾーツ代表取締役社長・矢島義拡さん「100年という単位で経営と地域を考えられる立場は貴重で魅力的だった」

「八ヶ岳」といったとき、まずイメージするのは山々や川、湖といった自然ではないでしょうか。ですが、地域はそうした自然環境とともに人がいることで形づくられます。

この連載シリーズでは、そんな八ヶ岳という地域を支え、つくる人に、ハチ旅の及川がインタビューをします。

第1回は高原エリアの白樺湖にある、長野県の池の平ホテル&リゾーツの2代目である矢島義拡(やじま・よしひろ)社長にお話を聞きました。

高原リゾートとして知られる白樺湖。

池の平ホテル&リゾーツは、白樺湖のほとりでホテルを中心に、池の平ファミリーランドや池の平スノーパークといったレジャー施設、ドライブインやショップなどを展開する企業。その歴史は白樺湖という地域の開拓とともにあります。

そんな白樺湖と池の平ホテルの成り立ちから、これからのことを矢島社長に話していただきました。

電気のない唯一の政府登録旅館

——池の平ホテルにはプライベートで泊まりに来たこともあるんですが、すごく楽しかったです。きれいだし、いろんな施設やイベントがあって楽しいんですが、白樺湖という地域自体は戦後に開拓された地域なんですよね。

白樺湖という湖はもともと、白樺湖の下流にある柏原という土地の方々が農業用につくった人工湖なんです。この地域は標高が高くて寒いので、川の水温も低い。だから、上流にため池をつくってそこでいったん水を温めよう、と。それで、1940年から1950年ごろにかけてため池づくりを行ったんです。最初は公的なお金も使ってはじめたんですが、戦争もあって途中で工事が止まってしまった。それで、柏原の方々が自分たちでつくったのが今の白樺湖、当時の「蓼科大池」です。

矢島義拡さん。

——当時は単なるため池で、まだ人が住んでいるわけでもなかったんですね。

はい。祖父がここにやってきたのはそんなころです。陸運少尉だった祖父は、戦後すぐ長野県の農業研究所というところから派遣される形で開拓に参加しました。食糧難の時代で、日本としても長野県としても食糧自給率を上げなければという思いがあったわけです。それで、当時北海道で行われていた農法を同じ寒冷地・高冷地である長野県でもできないかということで大規模実験をはじめたんです。

——観光とはまったく関係ないところがはじまりなんですね。

ええ。当時はまだ獣道しかない山のなかで、電気もガスも水道もない状態からのスタートだったそうです。それで農業と酪農をやっていたんですが、やっぱり農業は寒すぎてなかなかうまくいかない。さらに、県からは家畜の餌なんかは支給されるんですが、現金収入はまったくなくて、生活を成り立たせるのが本当に厳しかった。そんな生活を5年ほど続けたころ、新しい需要に出会うんですね。登山需要です。

白樺湖開拓記念館には開拓当初から旅館のはじまり、そして現在に至るまでのさまざまな写真などが展示されています。

——蓼科山とかに登る方ですか。

そうです。登山に行く方が家の明かりを見て「泊めてもらえないか」と訪ねてくることがあって、そのお礼が初めての現金収入になったんです。そういうことが何度かあって「これはもしかするとお金になるかもしれない」ということで、農業や酪農と並行して山小屋をはじめた。これが池の平ホテルのはじまりです。

——最初は山小屋だったんですね。

その当時はインフラもまだ整ってなかったので、道をつくったり、井戸を掘って水を確保したりして、やがて旅館にしていったんです。戦後にできた「政府登録国際観光旅館」という制度があって、うちも本格的に旅館業をはじめてこの登録をしたんですが、当時電気が通っていない唯一の政府登録旅館だったそうです(笑)。

——すごい(笑)。

1960年代半ばごろになると、ビーナスラインが一部開通して、周囲にもうちだけでなくいろんな観光事業者さんが入ってくるようになります。ビーナスラインは最初、蓼科まででしたが、そのタイミングで北八ヶ岳ロープウェイができて、蓼科と白樺湖がつながるんですね。そのときに池の平ファミリーランドをつくっています。観光道路ができたところで、観光だけでなくそこで楽しんでいただけるような施設をエリアとして少しずつ整えていったというわけです。

現在も人気の池の平ファミリーランド。親子などで楽しめる遊園地です。

——農業はいつごろまでやっていたんですか?

ファミリーランドをオープンさせる少し前くらいですかね。1964年に天皇陛下がいらしたんですが、そのときに宮内庁から「不衛生だから、お招きするのであれば酪農は諦めてくれ」と言われて、そこで観光一本になりました。同時に、自分たちがつくってきた道を長野県に寄付したりもしています。

——来る方も登山者さんからいろんな人に広がっていったんですか?

そうですね。最初は登山の合宿なんかが多かったんですが、白樺湖は凍結する湖だったので、愛知県などの大学のスケート部の方が合宿で来てくれるようにアプローチしていったそうです。「白樺湖」という名前もそんなころに祖父が付けたんです。

——え、そうなんですか?

お客さんを呼ぶにしても「蓼科大池に来てください」っていうのはちょっと冴えないでしょう? だから、人を呼びやすい名前を勝手に付けたんです(笑)。

——白樺が周りに多いから「白樺湖」、と。

いえ、今も少しありますが、当時は湖のなかに白樺が生えていたんです。

——え、水中にですか?

はい。まあ、人工湖なので白樺が生えているところをため池にしたというのが正確なんでしょうが。ただ、白樺はパイオニアツリーと呼ばれる木のひとつで、土地に最初に生えてくる木なんです。で、20〜30年で朽ちちゃうんですけど、今度は朽ちた白樺を養分にして楢などのほかの木が生えてくる。もともとそれくらい育ちやすい木なんです。

かつての白樺湖。水のなかから白樺が生えています。

資料館には下駄スケートもありました。

——開拓の先駆者なんですね。その名前を付けた。

でも、蓼科大池をつくった方々からすれば、あとからやってきて勝手に名前を変えたわけですから、当時は反感もあったと聞いています。

——でも、結果的にその名前が受け入れられて、今では地図に載るようになったわけですね。

白樺湖の栄枯を見て育った2代目

——矢島社長はいつごろ、おじいさまの跡を継ごうと思うようになったんですか?

よく聞かれるんですが、はっきりいつっていうのはわからないんですよね。大学に入るころには何となく「いずれ池の平に戻るんだろうな」とは思っていた気がしますが。そもそも物心ついたころにはもう観光というものがあったわけです。しかも、僕は1983年生まれで、子どものころは特にこの地域が盛り上がっている時期だった。ファミリーランドでいろんな企画があったり、毎年のように新しい施設できたり、変わっていったりしていて、そのなかでお客さまに楽しんでいただくという状況が身近にあったわけです。なので、「面白そうな仕事だな」って気持ちはずっとありましたから。

——じゃあ、小さいころから自然に。

でも、一方でその終わりも見ているんですね。僕は中学で県外の学校に進んでここを離れているんですけど、ちょうど白樺湖はそのころから低迷期に入って、休みに帰ってくると同級生の家が廃業していなくなっていたり、ホテルがなくなっていたり、そういう地域の変遷も見ていた。面白さと厳しさの両方の印象を持っていました。

——そうそう、鹿児島のラ・サール中学に進学しているんですよね。遠くの学校に行ったのはどうしてなんですか?

ひとつは単純に地元だと通学が不便だったんです。小学校も一番近いところでバスで20〜30分かかってた。中学になるとさらに遠くなって、まずバスがないんですよね。部活をやろうと思うと親の送り迎えが必要になるんですけど、こういう仕事なので送り迎えは難しい。だから、寮がある学校に行きたかったんですね。それで、寮がある学校を入るのが難しい順に探していったんです。

——通学が理由だったんですね。

でも、もうひとつ理由があって。単純にめんどくさかったんです。こういう家なのでどうしても「おい、坊ちゃん!」なんてからかわれたりするじゃないですか(笑)。当時の僕は社会性がなかったのでそういうのが面倒で。だったら外に出ちゃおう、と。

——地縁のないところに行ってしまいたかった、と。

当時の僕はそこまで考えていなかったと思いますが、今から思えばそうなんでしょうね。自意識過剰さの結果だと思いますが、とにかくここから逃げたくて勉強していました(笑)。

——大学は東大の法学部ですよね。法学部なのは何か理由があったんですか?

正直、法学部の勉強がここでの仕事に役立つと思って選んだわけではなかったですね。祖父や父の仕事を見ていても「学問じゃないな」と思っていたんで。どちらかというと、いろんな人間に会える方が大事だなと思っていて、それならとりあえず一番学力の高いところを目指そうか、というくらいの気持ちでした。祖父の跡を継ぐというのを考えて選んだのは就職のときですね。

——新卒でリクルートに行かれてるんですよね。

当時僕のなかで選択肢はふたつあったんです。ひとつは外資コンサルに行ってホテル経営のMBAを取って帰るという選択肢。もうひとつは商売を一気通貫で経験できる営業職をやらせてもらえる所で仕事をするという選択肢。これはつまりリクルートみたいなところですね。

——後者を選んだ決め手は何だったんですか?

時間ですね。前者の場合5年から10年くらいは池の平に戻らないことになるんですね。僕が大学を卒業したとき、すでに祖父は82歳。5年も10年もは祖父も僕も待てないなって思ったんです。であれば、2〜3年くらいの短期間で極力苦労できて面白い人にも会えそうな会社に行こうと思ってリクルートに決めました。

——リクルートでは営業を?

はい。最初は新宿の歌舞伎町が担当エリアで、正社員の求人広告の営業をやっていました。リクナビとリクナビネクストですね。でも、歌舞伎町ってそもそもお店はたくさんあるけど、法人はほとんどないんですよ(笑)。不動産と制作会社さんが少しあるだけ。全部新規営業なのですごく鍛えられましたが。だって、最初の研修で「1週間で名刺を1,000枚交換してくる」とかあるんですよ。1週間、つまり5日で1,000枚ですから、1日200枚。1日8時間とすると1時間で25枚、だいたい2分に1枚交換しなきゃいけないんですよ?(笑) だから、とにかく片っ端からビルに飛び込んで、上から下まで訪ねてくんです。それで何も知らずに「○○興業」みたいな会社にも入って、入った瞬間バタッと扉を閉められて……

——うわぁ(笑)。

「何とか興業っていうのは吉本興業以外にもあるんだ」ってそこで初めて知りました(笑)。

——いろんな経験をしたんですね。

そうですね。その後静岡に異動になって、そこでは求人だけじゃなく結婚情報のゼクシィや中古車情報のカーセンサー、旅行情報のじゃらん、住宅情報のSUUMOとか、リクルートの全媒体に触れさせてもらいました。リクルートの媒体って、就職、結婚、住宅、車とかライフスタイルの起点に関わるものなんですよ。それはすごく面白くて、いい経験をさせてもらったと思います。

——計2年半いたんですよね。それでリクルートで経験できることは全部やったぞ、と。

いやぁ、それは全然なくて。もう2〜3年やっていたらもっと違っていただろうなと思います。でも、祖父の体調もそれほどよくなくて、現場に出られない日も増えてきていた。だったら少しでも早く祖父との時間をつくろうということで戻ってくることにしたんです。そういう意味ではリクルートの卒業生とは恥ずかしくて言えません。自分次第で、もっと色んなことを得られる素晴らしい環境だったのですが、充分に機会を活かせていなかったのかもしれないです。あ、でも、妻と出会いましたね(笑)。妻はリクルートの同期だったので。

——それはすごく大きいですね(笑)。

100年単位で地域のブランディングを考えるスイス・ツェルマットの衝撃

——矢島さんは今年2021年で社長就任から10年になりますよね。

はい。

——今も検索で「白樺湖」と打ち込むと「廃墟」なんてフレーズがサジェストに上がってきますが、この10年ほどで、私自身も白樺湖のイメージってけっこう変わってきています。新しいお店も増えて、生まれ変わってきているという印象です。

そう言っていただけると嬉しいです。池の平自体は変わったといえば変わりましたが、変わらないといえば変わってないんですね。

——たとえばどういうことですか?

大前提として変えてはいけないと思っているのは自然です。この環境がもっとも重要な財産ですから。で、それ以上に変えてはいけないと思っていたのが社風です。池の平には保守的にならない、常に挑戦していく姿勢が社風や風土としてある。そういう社風があったからこそ、当時27歳の僕が祖父から引き継いでトップになっても適応してくれたんだと思います。世代的にいえば、祖父の世代から急に孫の世代に変わったわけです。その間にいる父の世代からすれば、突然息子世代に変わったわけですから、僕以上に大変だったと思います。

陸軍少尉時代のおじいさま、矢島三人さん。

——変えた部分はどんなところなんでしょう?

僕らは常にお客様のニーズに応じて商品や販売を変えていかなきゃいけない。だから、そういう部分は今までも変えてきたし、変わり続けています。常に挑戦するっていうのはそういうことですし。その意味で、僕は何も変えてないのかもしれないです。「今までどおり常に変化していく」ということなので。

——そういわれれば確かに。おじいさまのころから常にすごいスピードで変わってきていますもんね。

そういうことです。農業からはじまって、山小屋、観光向けの旅館、レジャーと変化していった。さらに祖父は80年代に「ニューレジャーへの挑戦」という本を書いているんです。まだ「リゾート」という言葉がなかったんでしょうね。祖父は「レジャーからリゾートへ」というのをやろうとしていたんだと思います。そこからさらにいわゆる「村」に近い形というか、過ごすこと自体に価値をつくっていくのが僕のフェイズだと思うんですね。

レジャースポットが充実していった時代。こちらはポニー牧場。

——「村」ですか。

これはスイスのツェルマットという場所での経験が大きいです。祖父は年に1〜2回、日本や世界のいろんなところに連れて行ってくれていたんですが、中学のときに連れて行ってくれたのがツェルマットだったんですね。マッターホルンの麓にある小さな村なんですが、いろんな意味で衝撃を受けました。

——例えばどういうところで衝撃を受けたんですか?

ひとつはシンプルに滞在期間の長さです。向こうはバカンスの文化があるのも大きいんでしょうが、1週間とか2週間、もっと長く滞在する人も多いんです。

——日本の「旅行」とはかなり違いますね。

日本だと1泊2日とか2泊3日という短い期間でいろんなことをして帰る、ある意味では忙しいスタイルが多いですよね。僕自身もそういう観光にずっと親しんできたから、長く過ごすことを楽しむ人たちは新鮮だったし、羨ましくも感じました。金曜の夜に遊びに来て、スキーをして夜は飲んだり、クラブみたいなところで遊んで、翌日また遊んで渋滞のなか帰る。僕らがそうやって旅行のなかでも疲れてしまうような過ごし方をしているのに、「こいつら、豊かな過ごし方しやがって!」みたいな(笑)。

——まさにバカンスですね。

そこで過ごす人とホスト側の人の関係も面白いんです。たとえば、カフェに行ったんですけど、地域に住んでる人じゃなくて、1か月とか2か月とか滞在している人がそこでアルバイトしていたりするんです。ゲスト側として来た人が、馴染みの常連になって、ホスト側にもなる。で、そこにホテルで働いている人が仕事帰りにお客さんとしてやってきたりするんです。いわゆるホストとゲストという固定的な関係じゃないんですよ。

——日本の観光地ではあまりない関係性ですね。

住んでいる人たちも、そこに住んでいることを誇りに思っていて、そこでの時間や生活をすごく楽しんでいる。で、その時間自体を価値としておすそわけしているような感じなんですね。ゲストの人たちもその空気を好きになって馴染んでいって、最終的には住んだりもする。こういうあり方は日本でも今「DMO(観光地域づくり法人)」なんて形とともに語られるようになって、観光業界では一般的な考え方のひとつになってきていますが、30年前にその形を目にしたときは衝撃でしたね。

——まさに今めざす形ができていたわけですね。

そうです。でも、ツェルマットだっていきなりできあがったわけではない。200年、300年という時間をかけてようやくそこまで来たんです。

——200年!

ツェルマットでは、5つくらいの家が中心となったブルガーゲマインデという組織をつくっているんですね。そこが地主的な観点で100年200年という長いスパンでのブランディングみたいなことを考えているんです。それこそ「スターバックスの出店はまだ早い」みたいなことを。さらに一方でバリバリのマーケティング機能もあって、しっかりお客さんも呼ぶ。軸をぶらさないブランディングと最先端のマーケティングを100年単位で平行して行うことでできあがっているんです。

——途方もない時間をかけてできあがっているんですね。

でも、白樺湖ってこういう長期的な経営、ブランディングが可能な場所なんです。祖父が入植して50年弱いろんなことをやってきた。父の体調があまりよくなかったので、そのあと僕が引き継ぐことになるんですが、潰さない限りは僕が40年ほどトップをやることになるだろう、と。そうすると、2人くらいの人間で100年単位の時間を見ることができるわけです。そんなふうに中長期的な視点に立った観光、地域としての経営ができるというのはすごく貴重で価値があると思ったんです。

——それだけの時間で地域を考えることってなかなかできないですよね。

ちょうど当時は所有と経営の分離というのがすごく言われている時期だったんですね。もちろんそれは経営としては間違っていないと思うんですが、僕としては「イヤだな」って気持ちがあった。どんどん外資が入ってきて、所有と経営の分離が進んで、結果としてどこの観光地も同じような形になっていくというように見えたんです。うちの場合は、長いスパンで責任を持ってオーナー経営者が地域と向き合える環境があった。それを祖父から引き継げば長い時間が持てる、中長期的な経営ができるというのが、池の平を継ぐ大きな決め手でもあったと思います。

ファジーな部分を増やすことで、いろんな過ごし方を選べる形に

——新しいリゾートスタイルをつくるために矢島さんが今考えてるのはどういうことですか?

ひとつは僕らは湖を抱えているので、レイクリゾートというのは頭にあります。レイクリゾートって、国によって価値がすごく違うんですよね。ビーチリゾートはどこの国でもだいたい評価されていて「オーシャンビューの部屋ならこれくらい」みたいな価値観も比較的均一化されている。でも、レイクリゾートは価値が評価されている国もあれば、そもそも日本のようにその概念がまだ根付いていない国もある。日本の湖って火山活動でできたものが多いので、だいたい温泉とセットなんです。諏訪湖温泉なんかもそうですよね。だから、温泉の脇にあるものってイメージが強い気がするんですね。少なくとも、湖自体で過ごす、楽しむという概念はまだあまりない。一方で、北欧やニュージーランドなんかだと湖畔のホテルやコテージの価値って海よりも高くて、滞在時間も長い。レジャーやアクティビティでなく、ゆっくりと時間を過ごすことにお金を払う国民性もあると思うんですね。

——白樺湖では去年、周辺事業者や自治体が共同で「白樺湖レイクリゾートプロジェクト」が立ち上がって、「湖畔の時間」といったイベントも行われてますよね。

はい。日本では北欧やニュージーランドのような形って難しいかもしれないですが、イベントや実証実験を通じて、レイクリゾートというものや、そこでの時間の過ごし方に価値を求める人は一定数いるとも実感しています。少なくともこれから増えていくだろう、と。

2020年にオープンしたLAKESIDE FIREBASEはレイクリゾートのひとつの形。手ぶらでのBBQやサウナテントなどを含め、湖畔での時間そのものを楽しむことができる場所です。

——「白樺村」であり、「レイクリゾート」である、と。

「白樺村」というのはどちらかというとインナーメッセージ、つまり地域の人向けの考え方だと思うんですね。それに対して「レイクリゾート」はどちらかといえば外向けのメッセージ。このふたつは少しレイヤーは違うと思いますが、「場の価値」というものをつくる点では共通しています。そこでの時間の豊かさを見せていくのが「レイクリゾート」、そのなかで根を張って、自分たちの生活を豊かにしていくのが「白樺村」という言葉かなと思っています。

——レイクリゾートプロジェクトの写真やイベントは見ていてもすごく楽しそうだなと思いました。ただ、自分自身がツェルマットに来る人のような過ごし方をしようと思うとどうすればいいか悩んじゃいそうです。

旅とリゾートの僕なりの定義は、事前の計画があるかないかだと思っていて。僕らが家族旅行とかするときって、そうはいってもある程度計画を立てるじゃないですか。で、それをこなすような形になる。そういう旅行の形態から、少しずつ無計画な旅だったりバカンス、リゾートの過ごし方に移行している方が増えてきている気はしますね。最近だと「非日常」に対して「異日常」なんて言葉もよく言われるようになっています。これも、レジャー的な体験でなく、違う土地の日常を味わうようなスタイルです。そういう過ごし方や無計画さを許容できるところをどれだけつくれるかが大事かな、と思っています。

——そういう無計画さを受け入れる懐を用意するのが地域のひとつの役割ですよね。ただ、一方で来る人の方もそういう過ごし方を楽しめる素地ができてないと成立しない。

だからそこは両方必要なんだと思います。すでにある、楽しめる場所というのを必要として、楽しんでくださる方もたくさんいますしね。実際こんな話をしながら、今も「来週ファミリーランドでイベントをやるかどうか」なんてことを話し合っていますし(笑)。そういう従来のコンテンツリッチなスタイルもきちんと提供しながら、新しいスタイルを提案していくことで「こういうのもあるんだ」って気づいてもらうようにする必要があると思っています。

——私の周りでも無計画旅みたいなものを楽しむ人は増えていると感じています。でも、一方で私自身が子どもといっしょに出かけるときは、子どもを飽きさせちゃいけないっていうのが重要になるので、ファミリーランドみたいな施設やイベントが豊富なのはすごくありがたいです。池の平ホテルに来たときも、プロジェクションマッピングがあったり、本当に飽きなくて楽しかったし、助かりました。

ありがとうございます。リゾートとコンテンツリッチについては、完全に切り離せるものではないと思っているんですね。おっしゃるとおり、誰と行くかによっても求めるものが変わる。両方ある懐が深い地域が一番強いと思うんです。ハワイなんかはそうですよね。

——確かに。パッケージングされた旅もできるし、のんびり無計画に過ごすこともできる場所ですね。

そのバランスがこれから少しずつ変わっていくと思うんですね。今はリゾートが5、コンテンツリッチが95くらいだとしたら、20年後にはたとえば30対70くらいになっているかもしれない。

——少しずつバランスを変えていこう、と。

はい。今池の平ホテルは新館の改装を行っているんですが、コンテンツリッチと無計画な旅の境界になるファジーな部分をどれだけ広げられるかというのが一番重要なテーマのひとつなんです。

——ファジーな部分ですか。

たとえば、1階に食のフロアを設けているんですが、ここをビュッフェスタイルというか、「フードホール」みたいな形にしているんですね。

——「フードコート」でなく「フードホール」ですか。

そうです。フードコートのようにいろんなお店が並んでいる屋内のバルみたいな形をビュッフェスタイルで提供する予定です。で、そのまま屋内の客席で食べてもいいんですが、フードを持って外に出て食べてもいい。そのために、湖畔につながるウッドデッキなどをつくっているんです。

——「ここは食べるところ」「ここは散策するところ」みたいな境界線をゆるくしているということですね。

そういうことです。食でいえばそういう形だし、お風呂も浴場があって、スパがあって、サウナがあって、20分で上がられる方もいれば、2時間滞在する人もいるというような形にしています。

——過ごし方によって時間のかけ方を変えられるわけですね。面白い、泊まりたくなります。

ぜひ来てください。あと、白樺湖もいいところなんですが、八ヶ岳周辺っていろんな地域が点在していて、それぞれに個性がある。それが魅力的だなと思うんですね。そこにたくさんの事業者さんがいて、誇りを持ってつくっている商品がそこかしこにあります。このエリアに来る方々が、いろんなものを味わったり楽しんだりしてくださったら嬉しいです。

矢島義拡(やじま・よしひろ)
1983年、長野県生まれ。2006年に東京大学法学部卒業後、リクルートに就職。2009年に祖父が創業した池の平ホテル&リゾーツに入社。経営企画室長、副社長を経て、2011年4月より代表取締役社長を務める。信州たてしな観光協会副会長、茅野市観光協会理事、白樺湖活性化協議会部会長なども歴任している。

SPOT INFORMATION

池の平ホテル

標高約1,400mの白樺湖のほとりに位置するリゾートホテル。
洋室や和モダンのほか仮面ライダーやプリキュアのコラボルームなどもあり、泊まる人や過ごし方によっていろんな楽しみ方ができます。
100畳の大露天風呂のほか、近隣にはレジャー施設の池の平ファミリーランドや手ぶらBBQなども楽しめるLAKESIDE FIREBASE、美術館などさまざまな施設が集まっています。

住所
長野県北佐久郡立科町芦田八ケ野1596
電話番号
0266-68-2100(9:00〜18:30)
詳細ページ
https://hotel.ikenotaira-resort.co.jp/

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