【八ヶ岳をつくる人】TINY GARDEN 蓼科・粟野龍亮さん「小さな火を大きくしていく仕事がしたい」

八ヶ岳という地域を支え、新しい地域をつくる人にハチ旅・及川がインタビューするシリーズ企画「八ヶ岳をつくる人」。

第2回の今回は、蓼科湖のほとりにあるTINY GARDEN 蓼科の粟野龍亮(あわの・りょうすけ)さんにお話を伺いました。

TINY GARDEN 蓼科はアパレルメーカーであるURBAN RESEARCHが温泉旅館とキャンプ場をリノベーションして生まれた宿泊施設。ロッジ、キャビン、キャンプサイトという3つの宿泊スタイルを備え、2019年秋にオープンしました。

蓼科湖のほとり、4800坪のフィールドに温泉付きのロッジ、キャビン、キャンプサイトが広がるTINY GARDEN 蓼科。

2017年に長野県茅野市へ移住してきた粟野さんは、以前URBAN RESEARCHで働いていた縁からTINY GARDEN 蓼科のオープン前から関わり、現在は施設の責任者を務めています。

そんな粟野さんのこれまでと、これからを聞きました。

「衣食住」をいろんな視点で考えた大学時代

——粟野さんはここに移住してきて何年くらいなんですか?

今年で5年目かな? 最初は地域おこし協力隊として2年半くらい。それからこのTINY GARDEN 蓼科の立ち上げから関わって約2年ですね。

粟野龍亮さん。

——生まれも育ちも東京でしたよね。

実は生まれは静岡県なんです。

——え、そうなんですか。

といっても、幼稚園に入る前に東京に引っ越したので、東京の生活が長かったのは事実です。それもあって、大学時代に東南アジアに行ったりもしました。東京以外の暮らしを見てみたいなって思って。

——東南アジアを選んだのはどうしてなんですか?

たまたまです。大学でお世話になっていた先生が、アジアのカトリックの歴史を調べていたんですね。日本ではキリスト教禁止令で多くの資料がなくなってしまったんですが、東南アジアだと資料や文献がいろいろ残っているので、毎年学生を連れて1か月くらいのステイツアーをやっていたんです。「ちょっと行ってみたいな」ってくらいでした。

東南アジアへ行った際の写真。

——でも、その旅が価値観を変えるものだったとうかがっています。

タイの国境地帯とか、けっこう奥地にも行ったんですよ。ちょっと行き先を間違えると、アヘンとか大麻なんかをつくってる危ない地域もあって。タイ語も通じないし、電気や水道も通っていないところに10日くらい過ごしたりもしました。東京の暮らしからすると衝撃的ですよね。でも、すごく不便な場所なのに暮らしている人は生き生きしてて、「豊かさってこういうことなのかもな」と思ったんです。

——大学卒業後はアパレル業界に就職していますよね。それはどうしてだったんですか?

興味がある業界のひとつだったんです。大学時代も早稲田大学の繊維研究会っていうサークルに入ってて。僕は上智大学の学生だったんですけど、他大学の学生も入れるサークルだったんです。

——繊維研究会。どういうサークルなんですか?

服飾をテーマにしたサークルで、年に1回展示とかプレゼンテーションをするイベントをやってるようなところです。縫製とか技術でいえば服飾の専門学校の人たちにはかなわないんですけど、このサークルの場合「服と人の関係について考える」みたいなことをやってたんですよね。僕が大学に入ったころってちょうどファストファッションと呼ばれるものがガーッと来ている時期で、みんなが無意識に大量生産・大量消費をしている印象だったんです。でも、服って人の身体とか人格を表現するものでもあるから、もっと人の心に寄り添った方がいいよね、とかそういう議論をしてました。オシャレがしたいとかって気持ちはあんまりなかったんですけど、そんなふうにものと人の関係を考えるのに興味があったんです。

ハチ旅・及川。

——なるほど。

タイでは東京での自分たちの暮らしと海外の人々の暮らし、繊維研究会ではものと人の関係と、ライフスタイルとか衣食住に対して興味が湧いてきた時期なんですよね。

消費者だけでなく生産者も豊かに

——それで就職もアパレルに。

ほかにも興味がある業界はあったんですけど、アパレルもそのひとつという感じでした。僕が入ったのは三陽商会っていうところです。バーバリーとライセンス契約をしていたので有名なところですが(※現在はライセンス契約を終了)、実は大手アパレルとしては国内有数の職人さんが集まる縫製工場を自社で持っている、ものづくりを大切にする会社でもあるんです。そういう会社で何かできないかなって思って入社したんですが、結果的に1年ほどで辞めちゃいました。

——どうしてですか?

ちょうど僕が入社したのが2011年で、震災の直後だったんです。それで、ゴールデンウィークには初任給をもらって被災地にボランティアに行ったりとかしてたんですよね。会社には勤めていたけど、「自分の居場所はここじゃないな」って感覚がありました。

——転職のきっかけは何だったんですか?

丸の内朝大学って知ってますか?

——はい。朝、出勤前くらいの時間にいろんな講座を行っている市民大学ですよね。

そうです。三陽商会時代、いくつかのお店で働いたんですけど、そのひとつに日本橋三越の店舗があって。そのときに丸の内朝大学に参加してたんです。そこでURBAN RESEARCHの「かぐれ」ってブランドのディレクターと出会ったんです。

——レディースファッションだけでなく、生活雑貨やコスメを展開しているブランドですね。

かぐれの店舗の様子。洋服だけでなく、さまざまな雑貨も扱っています。

はい。ちょうどエシカルファッション(環境に加え、社会や労働問題にも配慮して生産されたファッション)みたいなものが話題になりはじめた時期で、「かぐれ」もそのはしりみたいなブランドだったんです。「オーガニックと手仕事」というのをテーマにしていて、日本の職人さんの手仕事が入った作品を扱ったりもしていて。店舗も半分ギャラリーみたいになっていて、2か月に1回とか展示を行っていた。それで、いろんな作家さんが展示作品の納品に来たりしてたんですね。衰退していく日本の手仕事とか職人さんの産業を盛り上げるとか、消費者だけでなく生産者も豊かにしていくって考え方に興味があって、このプロジェクトに関わりたいなと思って転職しました。

「もの」でなく「こと」にフォーカスしたい

——そこでいろんな地方のつくり手さんと関わるようになったんですね。

そうですね。店舗での販売だけでなく、イベント出店なんかも多かったんですが、地方の作家さんに会いに行って「こんなことをやりたい」なんて話したりしてました。夜行バスで行って、泊まらせてもらいながら現場を見せてもらったりもしましたね。このころはこのころで楽しかったですね。

——結婚されたのもその時期ですか?

そうです。「かぐれ」の職場で今の妻と出会って。彼女は僕より先に入社してたんですけど、1回辞めて山小屋で働いたりしてたんです。それで僕が入るとき、同じようなタイミングで戻ってきた。

——へー、そうだったんですね!

それで、結婚して子どもが生まれたころに地方移住を考えるようになったんです。当時から公私混同みたいに仕事をしていたというか、休みの日に自費で地方の作家さんに会いに行ったりもしてたんです。「だったら自分がいろんな土地に拠点を移しちゃえばいいじゃん」って安易に(笑)。

——時間もお金もかからないし、と。

それと、ものを売ることで伝えられることの限界とか、自分の役割というのも考えはじめたタイミングでもあったんです。地方の作家さんのところへ行っているなかで、ただそこで時間をともにすることの豊かさっていうのを感じるようになって。都会でものを売ったり、ワークショップを開催したりしてきたわけですけど、そこで伝わるものと、現地に行って伝わるものってやっぱり違うよなって感じるようになっていたんです。そう考えていくと、自分が関わりたいのは「もの」ではなくて「こと」なんだなって。

——「もの」そのものじゃなく、「もの」を通じて関わる時間であったり、体験であったりに軸を移したいという気持ちになったわけですね。

はい。そんなことを考えはじめてから、いろんな人に相談して、地方で観光とか旅行の仕事に関わってみることにしたんです。それで、リクルート(当時はリクルートライフスタイル)に転職してじゃらんの仕事をはじめました。

小さな火を大きくしていく仕事へ

——業界としては全然違うところですよね。

そうですね。基本的には修行だと思って働いていたんですけど、楽しかったです。僕は三重県で働いたんですけど、リクルート在籍の2年半で県内を上から下まで回りました。じゃらんにいると、どれだけ新人でもリクルートという看板を背負っているので、社長さんとか経営陣の方にも忙しいなか時間をもらって話をさせてもらう機会が多かったんです。もちろん僕らは集客のサポートが仕事で、その営業に行くんですけど、少し仕事に余裕が出てくると、いろんな人の話や考え方に触れられるのを楽しいと感じるようになりましたね。

——得るものも大きかったんですね。

10年やれるかといわれたら僕には無理だなとは思っていましたけど。そのあと行った茅野市の地域おこし協力隊とは正反対の仕事でもあるわけです。旅行プランの提案とか広告の営業の仕事だから、お金を出してくれそうなところを最優先で回っていくことになるんです。でも、地方を回っていると、お金があるかどうかは別にして「この人たち、これから先面白くなりそうだな」って感じる人たちもいるじゃないですか。リクルートだと、なかなかそういう小さな火種をサポートしていくことはできない。小さい火を大きくしていく取り組みをもうちょっとしたいなという気持ちもあって、その後転職したんですけど、振り返ってみるとリクルートにいた2年半は必要な時期だったなと思います。旅行業界の基本を学ばせてもらった。

三重県でのリクルート時代にはちょうど伊勢志摩サミットも行われました。

——旅行業界を知ったからこそ、別の形で地域の魅力を発信する必要性も感じるようになったわけですね。

そんなときに、ちょうど茅野市の地域おこし協力隊の仕事を見つけて。

——茅野でDMO(観光地域づくり法人)が立ち上げられたときですね。

はい。現地の食とものづくりに関わる現地ツアーをつくるというミッションがあって、寒天づくりに関わるツアーなんかをつくりました。

——実際に来てみて、この地域の印象ってどうでしたか?

住むなら山の方がいいなって気持ちもあって来たんですけど、来てみると面白い人が多いなって。ほかの地方に比べると東京に近いのもあるんでしょうね。東京に近い感覚を持っている人もけっこういて、自分と近い感覚の人が多いなって感じました。そういうなかで、がっちり組めるパートナーを見つけて、1つでも2つでも成功事例をつくれたらいいなと思ってやっていましたね。

——いろんなツアーをつくっていましたよね。

寒天のほかにも、包丁をつくる体験とかやっていましたね。でも、もうちょっと入り込んでやりたいという思いはありました。寒天も尊敬する編集者の藤本智士さんが手がけた「寒天博覧会」のように観光客も地元住民も巻き込んだ展示・イベントまでできればと思っていたんですが、なかなかそこまではできなくて。小さい火にスポットを当てることはできるけど、地域おこし協力隊という立場もいろんな障害があるのがわかった。そう考えると、「もう自分で事業をやるしかないのかな」なんて考えるようになっていました。

包丁づくりなどのツアーは現在も行われている人気ツアーです。

TINY GARDEN 蓼科は多様な過ごし方を受け入れられる場所

——TINY GARDEN 蓼科に関わるようになったのはそんなころですか?

そうです。移住してきて1年くらい経ったころに、URBAN RESEARCH時代の先輩に「バーベキューやるから来ない?」って誘われて。その人は、URBAN RESEARCHでフェスを立ち上げたり、URBAN RESEARCH DOORSってブランドのなかで家具をつくりはじめたり、飲食店事業を立ち上げたり、新しいことをいろいろやっている人で、仲良くさせてもらってたんです。それで行ってみたら経営陣の人がぞろぞろいて。「蓼科でこういう事業をはじめるんだけど来ない?」っていわれて、立ち上げの前から関わるようになったんです。

——地域おこし協力隊の仕事と並行してやっていたんですか?

はい。最初は企画・地域コーディネーターとして事業の立ち上げを現地で担っていました。事業構想の段階では特に、都会のビジネスとは違うので、しっかり地域に根付いた施設運営のかたちを常に提案していました。地域のなかで「外者」として認知されるのではなく、面白い人も多い地域だから、その人たちと連携しながら、遊びに来るだけじゃなくて人がつながる拠点にしたいと思っていました。今でも会社のリソースと地域のポテンシャルをどうかけ合わせるかをいつも考えています。

——TINY GARDEN 蓼科自体、最初から「つながる拠点」というコンセプトはあったんですか?

日常と非日常がシームレスにつながる空間という大きなコンセプトはありました。ショップとかカフェもあって、都会の人も観光するだけじゃなくて日常の感覚に戻りやすいようになっていて。そういう考え方がある施設なら、旅行・宿泊業での経験や茅野市での経験、つながりも生きるし、自分がやりたいこととも重なるなって。

——実際面白い場所になっていると思います。都心から遊びに来る人ももちろんいるけど、地元の人も利用するじゃないですか。

結果的にオープンしてすぐコロナ禍がはじまったのも、大きな要素だったと思います。地元の人が泊まりに来るきっかけにもなった。

——こういう時期だからこそ地元を楽しもうという人は増えましたよね。

それと、一口に「自然を感じる場所」といっても、求める環境って人によって違うじゃないですか。ここはロッジでの宿泊もあり、キャビンもあり、キャンプサイトもある。だから、お客さんごとに過ごし方を選んでもらうことができる。そうやって多様な過ごし方や働き方、暮らし方ができる場所になればいいなって。

——リモートワークが浸透して、ワーケーションみたいなものも注目されるようになりましたしね。

ここって規模としては大きくない。ロッジも7部屋だし、キャンプサイトも20くらいしかない。ある意味では中途半端なサイズなんですけど、だからこそ余白が大きいんですよね。「こうやって過ごしてください」というスタイルがきっちり決まってるわけじゃなくて、人によっていろんな過ごし方ができる。遊んでもいいし、コワーキングスペースとかを使って仕事や暮らしの一部にしてもいい。カジュアルに遊びに来て、そのまま移住につながってもいい。そういう余白だらけの場所をこのタイミングでつくれたのはよかったなと思います。

地域を訪れる人をいろんな人・場所につなげる

——そういう場所を使って、粟野さんは今後どんなことをやっていきたいと思っているんですか?

さっきもいったように蓼科、八ヶ岳って面白いプレイヤーがたくさんいる地域じゃないですか。だから、TINY GARDEN 蓼科だけですべてをまかなおうとせず、早々にいろんな人をつなげていけたらいいなと思ってます。ビールづくりの企画なんかはそのひとつの形です。

——茅野市にあるクラフトビールブルワリー・8 Peaks BREWINGとのコラボでやった企画ですね。ワークショップを通じて地元の人や参加者と「キャンプ場で飲みたい最初の一杯」をコンセプトにしたビールをつくるという。

ワークショップから生まれた「キャンプ場で飲みたい最初の一杯」がコンセプトのビール「GARDEN ALE」。

そうです。ここをハブにして、参加する人と8 Peaks BREWINGとのつながりをつくれたり、地元の人やここに来た人のつながりをつくれる。そうやって地域を訪れる人をいろんなものにつなげる取り組みをやっていければと思っています。

——まさに小さな火を大きくしていく取り組みでもありますね。

そうやってこの地域が好きな人を増やすのは大事だなと思っています。今も1シーズンに2本くらいですが、TINY GARDEN 蓼科から1時間くらいで行ける範囲での旅の楽しみ方を紹介する記事を出したりしてるんです。それは、べつにうちだけでなく、このあたりの宿泊施設の人がシェアして使うこともできるよねって思ってつくってます。そうやってコンテンツとか価値観を独り占めしないで、オープンにしながらみんなでこの地域を盛り上げていければいいなと思ってます。

——TINY GARDEN 蓼科ができて、また新しい盛り上がりが生まれていると感じているので、これからも何が生まれるか楽しみにしています。今日はありがとうございました!

粟野龍亮(あわの・りょうすけ)
1988年生まれ。アーバンリサーチの展開する「かぐれ」に所属後、結婚・出産を機に三重県伊勢市へ移住し、旅行業界へ転職。その後、2017年に長野県茅野市へ移住し、地域おこし協力隊として行政と連携しながら地域資源を活かしたツアー企画を行う。2019年夏より古巣アーバンリサーチの運営するTINY GARDEN 蓼科に参加。現在責任者として活動している。

(取材=及川結 文・撮影=小林聖)

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SPOT INFORMATION

TINY GARDEN 蓼科 -Camp,Lodge & Cabins-

アパレルブランド・アーバンリサーチが運営する宿泊施設。ロッジ、キャビン、キャンプサイトが集まっており、いろんなスタイルで自然のなかの時間を過ごせます。
温泉旅館をリノベーションしたロッジの1階にはショップ、カフェも入っており、宿泊者以外の利用も可能。また、ロッジ地下1階には温泉があり、ロッジはもちろんキャビン、キャンプ泊での利用でも入ることができます。

住所
長野県茅野市北山8606-1
電話番号
0266-67-2234
詳細ページ
http://www.urban-research.co.jp/special/tinygarden/

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