諏訪エリアで生まれ、長野県ではソウルフードとまでいわれるようになっているラーメンチェーン・テンホウ。
今回はその歴史や魅力に迫るべく、本社にお邪魔してテンホウの大石壮太郎社長にインタビューを行いました。
創業当時の話や味の秘密など、テンホウについてたっぷりお話をうかがいましたよ!
諏訪エリアにラーメンと餃子を普及させたテンホウ
——僕は諏訪出身で、テンホウをラーメン店のスタンダードと思って育ったので、大学で東京に出て、そこで全然スタンダードじゃないって知って驚いたんです。ラーメン屋さんでソフトクリームとか、東京ではまずないですし。
今ではけっこう一般的らしいですけどね。(愛知県発祥のラーメンチェーン)スガキヤさんが広められて。でも、出し始めた頃は珍しくて、勘違いするお客さんもいましたね。「ラーメンソフト(ラーメンとソフトクリームのセットメニュー)ってラーメンにソフトクリームが乗ってんのか?」とか(笑)。
——トッピングだと思われてたんですね(笑)。
バブルの頃なんかは「コーララーメン」とか変わったメニューを出しているお店もあったりしたから、そういうものだと思われたんでしょうね。実際に「ラーメンに乗せて出せ」っていってきたお客さんもいたらしいですよ。この間再現したけど、さすがに「これは食べられないな」って味でした(笑)。
——タンタンメンも今では全国区の定番ラーメンですけど、知名度が上がるずっと前からテンホウではメニューにしていますよね。
先代の創業社長(現社長・大石壮太郎さんの父・大石孝三郎さん)が新しい物好きなんですよ。美味しい店や変わったメニューがあるって聞くと、全国各地のいろんなところへ行って、実際に食べて取り込んでいった。タンタンメンやバンバンチーメン、長崎ちゃんぽんをアレンジしたテンホウメンとか、全部先代の社長がつくったものです。当時この辺にはなかったものばかりなので、「なんだこれは!」と喜ばれたんですね。
——諏訪エリアのラーメンの普及役だったわけですね。
テンホウの原点である餃子もそうですしね。あれは祖母が始めたものですが、餃子もそのころはこの辺にはない食べ物だったので。
——「餃子菜館」の頃ですね。お婆さんが東京の名店に行ってレシピを教わったそうですね。
教わりに行ったというより押しかけのような感じですね。「美味しい店がある」って連れて行ってもらって初めて餃子を食べて感動して、レシピを教わりに行ったという。邪魔者扱いされつつ無休で働いて、とうとうレシピを教えてもらったそうです。
2店舗しかない時代に工場設立の大冒険!
——アクティブな血筋なんですね。
本当に。思ったら行動しちゃうから。まわりは迷惑するんですけどね(笑)。法人を立ち上げたときも、「街の食堂のように小さく終わらせたくない」って最初から大きくすることを考えていて、まだ店舗数が全然ないのにいきなり工場をつくったり。今考えるとすごい冒険じゃないですか。
——ですよね。工場をつくったとき、何店舗くらいあったんですか?
まだ2店舗です(笑)。それと、商品を卸しているところが2〜3店舗あったのかな? まだ餃子をつくる機械も世の中に出始めた頃です。本当に新しいもの好きですから。
——しかも、建てて2年で工場が全焼してるんですよね?
そうそう。そうらしいです。電気系統の出火で。
——で、また建てた。
そう。(工場を建てた場所の)地主さんとかいろんな方によくしていただいて。そもそもその地主さんが餃子菜館のファンだったらしいんです。まだ車が少なくて、牛が大八車みたいなものを引いてる時代ですよ。それで牛に乗ってお店に来てお酒飲んで酔っ払って、大八車に乗ると牛が勝手に家まで引いて帰ったとか(笑)。そんな方が「工場建てるならここでやれ!」って土地を出してくれた。だから、会社ができてからも昼から会社に来て昼から酒盛りしてたそうです。いい時代ですよね(笑)。
——ラーメン屋さんの話を聞いてる感じがしないですね(笑)。
テンホウの餃子には「魔法の粉」が入っている!?
——餃子なんかのレシピは創業時から変えていないそうですね。
配合は変えていません。ただ、時代とともにまわりのお店もどんどん味が良くなっていっているので、本当に何も変えないと相対的に味が下がっていく。だから、常に美味しくしようとちょっとずつ変え続けています。それは餃子も麺も。たとえば、皮にもっとモチモチ感を出せないかとか、仕入れる野菜を八ヶ岳の農家さんのものにしたり。キャベツキムチ用のキャベツなんかは柔らかい方が美味しいんですが、いいのを送ってくれるんですよ。でも、核となる部分の配合とかはいじっていません。
——餃子の核となる部分は社内でも2人しかレシピを知らないとか。
そうです。その部分は僕も知りません(笑)。ただ、入れている香辛料なんかは最近公表するようになりましたね。昔はそれも公表してなかったんです。ノウハウは隠すものって時代だったので。でも、今は(隠していると)「何が入っているかわからない」とお客さんが不安になってしまう。実際、昔はよくいろんなことをいわれましたよ。「目薬入れてるのか?」とか「魔法の粉が入ってる」とか怪しいことを(笑)。
——目薬(笑)。でも、確かに独特の味ですよね、テンホウの餃子は。
やっぱり香辛料の香りでしょう。今、フェンネルとかシナモンとか6種類入れてるんですが、やっぱり大きいのは八角ですかね。そういう香りが受け入れられる人と絶対ダメな人っていうのが分かれる。
でも、香料、香辛料みたいなものが好きな人や本格的な中華に慣れてる人は熱狂的なファンになってくれたりします。「こんな田舎でこれだけ本格的な餃子が食べられると思わなかった!」とか。実は僕の妻も最初は最初にテンホウの餃子を食べたとき「うわ、なんだこれ」って思ったらしいです。でも、食べてるうちに「これじゃないと物足りない」っていうようになった。
——東京にいた頃も、ときどき無性に食べたくなったりしました。
ありがとうございます。でも、長野県って特に肉餃子が多いんですよね。松本の餃子もそうなんですけど、どっちかというとシュウマイみたいな練り方をしているところが多い。長野市もおやき文化なので具が多い。一方、うちは野菜の方が多い野菜餃子。だから、長野市の方にお店を出し始めたときなんかは、最初「もっと具を詰めないとダメだ」っていわれました。地域性ってやっぱりあるなって。
——同じ長野県内でもかなり違いますよね。
長野市なんかは本当に地域性が違って、最初はあまり受け入れてもらえなかったです。でも、出店してから17年経って、今では「ソウルフード」っていってくれる方もいます。やっぱり十数年かかるんです。
「美味しすぎてはダメ」がテンホウ
——よくそれだけ粘りましたね。
テンホウは20年くらい前から「三世代家族」っていうのをひとつのターゲットにしてるんです。子どもと親、そしておじいちゃん、おばあちゃん。その人たちがみんなで食べに来るお店になりたいって。長野市はいい例で、最初はダメだったけど、出店し始めたころ小学生だったお客さんたちが、今成人する世代になっている。それで、親や子どもと一緒に食べに来てくれる。そうなるまでには時間が必要なんです。だから、赤字でも何でも長い時間をかけてゆっくり育てるっていうのがうちの戦略なんです。大きい店舗を作らず、40席くらいで損益分岐点を下げて、地域に根ざして、まわり半径数kmの人が普段使いで使ってくれるお店をめざしている。
——あー、まさにテンホウってそういうお店ですよね。ひとりで来る人ももちろんたくさんいるけど、家族やみんなで来る人が多い。お座敷席も多いです。
そうなんですよ。椅子よりお座敷を多くしたい。高齢の方は足を悪くしていて椅子の方がいいって方もいるから、どちらがいいのか悩むところですが、座敷のお店が喜ばれたりもしているので。そういう店舗づくりも含めて、みんなが集まれる空間をつくりたい。テンホウの存在意義ってそこなんです。スタッフに話を聞いても、やっぱり子どもが笑顔でワイワイしているときが楽しいっていうんですね。そういうときって、いっしょに来てるおじいちゃんやおばあちゃんもみんな笑顔で楽しそうにしてるんです。
そういう家庭の味、家庭の一部になりたいって思っているんです。お母さんが「今日はめんどくさいからテンホウに食べに行きな」とかっていってくれるような(笑)。
——第2の家庭ですね。
だから、「美味すぎるものをつくるな」っていうのもいわれたんです。美味すぎると飽きるから。
——わー! すごくわかります。いわゆる高級な味って、もちろん美味しいけど3日続けて食べられないですよね。
そう。うちのコンセプトは「毎日食べられる」なので。メニューもたくさんあるし、毎日来てほしい。でも、そういうお店なので食べログみたいなサイトにあんまり口コミや感想を書いてもらえないんですよね(笑)。お客さんにも「たとえば新しいお店ができたら1回は食べに行く。それでうまいとかまずいとかいうけど、そういう土俵にまずテンホウは上がらない。もう当たり前になっちゃってるから」っていわれます。
——確かにレビューを書こうってタイプのお店じゃないですよね(笑)。
テンホウ特集第3回はこちら…
テンホウ特集第1回はこちら…
【テンホウ公式サイト】
みんなのテンホウ | 長野県のラーメンチェーン
http://tenhoo.jp/